
つい先日お寺に勤務中、わたしに御礼を言いたい、とあるご年配の男性から呼び出されました。
この方は2年まえ、怪しげな霊能者から「おまえの妻はこんどの●月●日に死ぬ!」と告げられ、おそれおののいてわたしの勤務するお寺に相談におまいりされたのです。
相談を受けたわたしは「そんなバカな話はない!」と男性を励ましました。
で、結局、男性の奥さんは無事にこの新年も迎えられ、わたしにお礼を申し上げにいらっしゃったわけです。
さいきんはこの「とある霊能者に言われて…」とか「知り合いの霊感のある人からこう言われて…」と、不安を煽られたのか、私の勤務先のお寺に相談される方が増えています。

今回は本物の霊能者かどうかを見分ける方法を3つお伝えします。まあそもそも言動が変なんで分かるんですけど。
①外見、とくに顔や手の色などをよく見ましょう

顔色が健康的ではない。
とくに赤みがかった黒っぽい感じの顔色の人で、なにやら言動がおかしい人は、経験上言わせてもらえば動物霊に取り憑かれていることが多い。そんな輩は会話のはしばしが論理的でないことが多く、とても面倒くさいのでわたしはなるべく相手にしません。こんな連中が霊的なことを語っていれば、それは単に憑きものが人間の口を借りて言っているだけです。聞く価値もありません。
本当に修行を真面目にやっている行者、霊能者は絶対に規則正しい生活をしているので、顔色は白っぽいか上気した健康的な頰をしています。
そして、本当の修行者は、霊的なことをカンタンには言わないのです。
極端な「つり目」
おいなりさんの眷属である白狐は、山でさんざん修行をした成果で立派な存在になり、この世のために働く善神として力を振るいます。
しかしそのなりそこない、クダギツネ、あるいはドブギツネと言われる連中は未熟なゆえ、ひとに仇をなす。これらに取り憑かれた人は、そのまなざしが異常なくらい「つり目」になり、もとの人格からは信じられないくらい暴言を吐いたりします。
この連中は中途半端に力があるので、少し先の未来を予知し的中させたり、人間の心を透視したりするので、ぜんぜん知らない人は心酔して彼らの言いなりになります。わたしも実はお坊さんになる以前、これらに殺されそうになったことがあります(今以上に未熟でした…)。ひとの弱みを突いてきますよ。
なにかの冗談じゃないの!?ってくらいの「つり目」をしてる人は注意ですね。
道を行く人間は目つきが普通です。瞳も真っ黒じゃなく澄んでいます。
手の肌色やそのまわり、またはアクセサリーをよく見ましょう
手もやはり健康的な色をしていません。タヌキ憑きだとドス黒いと聞いたことがあります。
なにより特徴的なのが腕輪念珠。これを両腕にたくさん!巻いている方でまともな方にあったことがありませんw 片腕で一本だけとかなら、まだいいかな…行者さんでもつけているかたはいらっしゃいますしw
あとはアクセサリーが統一性がない。腕には念珠をつけておきながら首から十字架をかけているとか失笑ものです。そんなかっこうでお寺に参拝されるから意味不明です。
余談ですが、われわれお坊さんは神仏に「守られる」側ではなく、神仏の教えによって人々を「守る」立場にあります。ゆえに神仏が力を貸していただけるわけなので、腕輪念珠なんぞ着ける必要がないのです。お坊さんに霊能力は必要ないのです。
②仏教的知識があるかどうか
かんたんなこと、例えば「四諦」「八正道」「十二因縁」について聞いて見ましょう。
動物(畜生)はそもそも仏教が理解できないので、動物霊に取り憑かれている人は答えられません。
またいわゆる縁切りという意味での「因縁解脱」を謳う人間は注意が必要です。因縁は切れません。
「因縁」も「解脱」も仏教用語ですが、二つをくっつけると仏教を否定することになります。因縁をたどりたどって解脱(=成仏)するのであって、因縁そのものから脱けだす法は、仏教ではない。この言葉はかたちばかりの仏教を名乗った新興宗教が最初に広めました。
詳しいことはこちらの書籍をご覧ください。
れっきとした道の人は、仏教でも神道でもたくさんの勉強を惜しまないものです。
わたしもとある神社の大宮司さんとお話しする機会がありましたが、みごとに仏教にも精通していらっしゃいました。その会話のなかでなんども「宗教者は哲学者でもあるべきで、実際そうでなければなりません」と静かに語っていらっしゃったのが印象的でした。
③法外なお布施を要求するかしないか
常識外のお礼を請求する人間は、宗教者ではありません。すなわち無法者ということです。
お寺に集まるお金を「浄財」といいます。
お金自体にきれいも汚いも無い。
これは「みほとけにお供えされている」という意味あいで使われる言葉です。

苦行を完遂されたある行者さん。修行された山から下りられたあとは、ふもとの荒れ寺を再興するため、さらに修行を重ねられ、また周囲のご協力も得られ、大きなお堂や庫裡(くり)をもつくらいまで復興することができました。
ある日、そのお堂のまえで、ふてぶてしい賽銭泥棒に遭遇!
行者さんのおそばに仕えていた小僧さんが「まてこのやろう!!」と追いかけようとしたところ、行者さんはお止めになられた。
こりゃいいや、といちもくさんに逃げる賽銭泥棒。
「お師匠!どうして止めるんですか!?」
小僧さんは理解ができません。
そこで行者さんはただ静かにこう言ったそうです。
「ほとけさんを追っかけてどうする」
お賽銭はみほとけにお供えされたもの。ならばそれを持ち去っていくのも、またみほとけ。
お供えした方のいろいろな「気持ち」が込められた浄財。
我欲のまま、お布施だ法礼だとむやみな請求をする人は、すなわち仏教を理解していないということになります。
仏教を理解しない、これすなわち人間でありながら餓鬼であり、畜生であるということです。
まとめ
ニセモノ霊能者を見破るポイント三つ
- 顔色や目つきがおかしい
- 仏教について理解がとぼしい、あるいはない
- 常識外の高額なお礼を要求する、あるいはほのめかす
あなたに近寄ってくる、自称・霊能者にいずれか該当すれば、無視してその場から離れてください。
そして動物霊憑きは、少し先の未来を予知したり、心を読むことができるのでとても注意が必要です。
ほかにもありますが今回はこれまで。